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昨日迄は確かに夏だったように思う。
しかし台風は急に街から熱を奪って行ってしまったようだった。
今夜は酷く冷える。
鄙びた街の雰囲気が、より一層そう思わせたのかも知れない。
アカギはいつも通り着の身着のままで、上着の持ち合わせは無かった。
先刻出て来た雀荘は店じまいをしていたし、この気温で野宿は後々面倒かも知れない。
そう考えて、アカギは有るのかも分からないが、何処か適当な宿を探す事にした。
初めて来た街をふらりふらりと歩く。
このまま夜通し歩いてみるのもいい。そうして、気付くと朝がやってくるだろう。
しかし、時計も持たないアカギにはそれが何時間後の事か、よく分からなかった。
酷く静かな夜の空気の中に、ふと自分以外の足音があるのに気付いた。
カツカツとアスファルトに響く靴音は、サラリーマン御用達の靴のもので、呑んだ帰りの人間が居るのを知らせた。
アカギとは縁遠い、一般的な生活の人間が奏でる音。
靴音の持ち主は、きっとこのまま誰かが待っている明るい家に帰り、誰かが用意した風呂に入ったりするのだろう。
そう思った瞬間、バサリと肩に服をかけられた。
「…!」
咄嗟に相手を振り払おうと、向き直るアカギの目に映ったのは、見ず知らずのサラリーマンなどでは無く、南郷だった。
肩にかけられたのも、南郷のスーツだ。
予想外の出来事に二・三度瞬きをする。
「お前、そんな格好で何してるんだ。風邪ひくぞ」
南郷は半袖のアカギを見て、呆れたように呟いた。
「あんたこそ、何して………いや、南郷さんは何でこんなとこに居るんですか?」
冷静を努めようとするのは、アカギには珍しい事だった。
しかし、そんな事には気付かないのが南郷という男の不思議さである。
「いやあ、出張で来てなあ。向こうで飲んでたんだ」と、二人の居る後方を指差しながら言う。
「そうしたら、見覚えの有る頭が前に居たから、なかなか吃驚したぞ」
頬が少し赤らんで、久々に会ったというのに饒舌だ。
久々の邂逅は夜明けの空の群青のようなものだ。下の方に溜まる濃い色の澱みたいなものが心の底に在って、上に見える澄んだ色のようにさっぱりした心持ちで話すのが、アカギには難しい。
いつからこんな風になったのだろう。
果たして、出会ったばかりの頃はもう少し身構えるものも無かった気がする。
「そうですか。じゃあ、俺は行くんで」
言葉と共に、肩にかけられていたスーツを返そうとすると、手を抑えられる。
「どうせお前の事だから、宿もとってないんだろう。俺の部屋にもう一組布団を入れて貰うように頼んでやるから、そのままかけとけ」
そう言って半ば強引にアカギの肩にがっしりした手を回すと、彼の泊まっている宿に向かって歩き出す。
「冷え切ってるから風呂もゆっくり入るんだぞ」
アカギは勝手に話を進める南郷に何か抗議をしてやりたい心持ちだったが、口から出す言葉を見付けられなかった。
黙って、相手の促すままに歩いた。
横を向けば、以前より高さが近くなった顔に髭が見える。
肩を抱く南郷は何処にでも居る平凡なサラリーマンに過ぎず、腕だって、もう成人しようというアカギが本気になれば、振り払えないものでは無い筈だ。
しかし何故だかそれが出来ない。
南郷の手のひらの熱を感じながら、『また掴まってしまった--』そんな心持ちがした。
それから何回、何十回季節が巡っただろうか。
季節は再び秋になろうとしていた。
「流石に今なら俺にも分かるのに」
一人静かに縁側に腰を下ろして呟くと、後ろからまたあの時と同じように、まるでサイズの合わない大きめの上着がかけられた。
直前迄本人が着ていたと分かる、人肌に温もった上着。
「また、お前はこんな恰好をして風邪ひくぞ」
「フフ…ちょっと思い出して、さ…」
「…ああ、夜中にふらふら歩いて、しかもあんな土地で出会えると思わなかったから、より驚いたよ。懐かしいな」
南郷も覚えていたらしい。
あの時は見知らぬ街で、今は南郷の家の縁側で、時が過ぎて変わったものと、変わらぬものを思いながら、ゆったりとその温もりに包まれる。
もう手を振り払う事など考えなくなったアカギと、相変わらず変に愚鈍な南郷は、互いに顔を見合わせると微笑んだ。
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終
またしても、偶然街で再開+当たり前のように肩を抱く南郷さんになってしまいました。
それしか書けないのか!と、自分にツッコミ入れたいです。
多分、このパターンが好きなんでしょう。
だらだらした話でしたが、読んで下さった方、有り難う御座います。
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